遅ばせながら、芥川賞受賞作「コンビニ人間」を読了した。
芥川賞作品を読んだのは、ピース又吉直樹の「火花」以来。
芥川賞作品は、いわゆる純文学のイメージが強い。
イコール、面白いとは限らない。
というのが自分の中にあって、そういった先入観から、コンビニ人間も避けていたのだが、ふと書店で文庫本になっていたのを見て買ってしまった。
感想
普通ではない = 異物。排除されるもの。
とした社会の縮図が、ここにある。
子供の時は気がつかないけど、大人になると次第に周りと違うものに気づくようになる。
そして、社会の一般常識と言われるものからズレているものに対して、社会は厳しい目を向ける。
主人公の古倉恵子36歳は、世間一般でいうところの”普通”ではない。
コンビニのマニュアル通りに働く事が、生きる目的。
いわゆる”変わっている人”。
古倉さんは、普通の人を演じている。
縄文時代のムラ社会から排除されるような、普通ではない人。
この物語には、そんな普通ではない人が幾つか登場する。
主なところでは、主人公の古倉恵子と白羽。
しかし二人は対象的だ。
古倉さんは、目的主義。
コンビニ店員として、生きることが目的。
コンビニで働くために、睡眠をとり、働くために食事をとる。働くことに不要な、性欲(恋愛)には無頓着。
一方、白羽は何かにつけて人のせいにする。
過去にとらわれ、歴史から普通でないものは排除されると決めつけ、今の自分の冷遇は周りのせいと言わんばかり。
アドラーの心理学ように、目的が先にあるのが古倉さんで、それがないのが白羽。
古倉さんは、コンビニ店員として働きはじめた時が、生まれた日だと言っている。
同じく普通ではない白羽に出会い、彼女はコンビニ店員では無くなってしまう。
しかし最終的には、やはり自分はコンビニ店員である事を自覚する。
幼虫から、サナギになり、蝶として飛び立っていくように。
普通って何なのだろう。
人と違う事が「個性」として評価される場合もある。突出した個性を持つ、芸能人だったり、カリスマと呼ばれるものだったり。
それと同じくして、評価されない個性もある。
突出した個性がない事が”普通”なのか?
僕も、昔から少し変わっていると言われてきた人間だ。
言われたところで、何処がどうなのかは本人では全く分からない。
古倉さんと同じように。
自分の何が変わっているのか?
少し悩んだ事もある。
少し塞ぎこんだ時期もある。
引きこもり気味だったりもする。
ある意味、普通である事を自分が演じてきたようにも思えてくる。変わっていると言われることが嫌で。どこか白羽に似ているのかもしれない。
大学に行き、就職して、結婚して、子供を作って。
世間的には、普通の幸せそうな人に見えるだろう。
ただ正直全てに満足してるわけではない。
考え方によっては、全ての人が普通の人を演じているのではないか?
結局、帯にも書いてある”普通って何?”という問いには、答えが見つからなかった。
だが、それが答えなのかも知れない。
普通などと言うものは、はなから存在しない。
多数が普通。
少数が異端。
たまたま社会では、そういった事になっているだけなのだろう。
コメント